karin872006-04-04

青春なのかな この切ない感じが

青春を捧げたバンドが還ってきた。*1
 だから、そのことについて書こうかなって思う。今まで、色んなひとに「何で好きなの?」って聞かれたけど、曖昧にごまかしてきた。でも本当はもちろん理由がある。
 ちょっと脱線。今も昔もひとと同じことをしていても、自分だけはみ出しているような、枠線の中に収まっていないような感覚を抱えて生きてる。何とか白線の上につま先を置こうと踏ん張るんだけど、どうみても無理があって、その必死さがまた周囲から笑いを引き起こしてしまうというか。そんな風に集団の中にいても馴染みきれないことをわかっていた。この前、あるゼミの男子が「何でkarin*がいて、あの場所に俺がいちゃいけないんだよ」と言っているのをたまたま耳にした。発言の滅茶苦茶さに呆れるより先にはははと笑いがこみ上げてきた。あれから10年経っても、私の立ち位置は結局何にも変わっちゃいないんだってことに。彼は集団の中でもムードメーカー的な存在で、いつも輪の中心にいる。そんな風に集団の中に溶けこめる彼を羨ましいとさえ、思ってきた。そんな彼にとって私はやっぱり「はみ出しもの」だったのだ。そして、常に私が「はみ出しもの」を引き受けることで、きっとどの集団も成り立ってきたのだ。

 閑話休題。なぜこのバンドに青春を捧げるほど、のめり込んだか。当時の私に彼らは「業界」からはみ出した存在(鼻つまみもの)に見えたからだと思う。どんだけヒットを飛ばしても、「消えそうなバンド№1」に選ばれる。音楽雑誌では散々ミスチルと比較されて、こきおろされる。あげくの果てに「劣等感」っていうタイトルをつけて、アルバムを出したり、自らが「糞バンド№1」と言ってしまう心意気。ボーカルが全くカッコ良くないのも、コンプレックスだらけだった私には沁みた。周りは猫も杓子もミスチルGLAYだったことが、天の邪鬼な私には拍車をかけたのだと思う。無意識のうちに自分自身の姿を彼らに投影させて、エールを送っていた。「私が応援せずに他に誰が応援するの」と。彼らを応援することで、みっともない自分を鼓舞してステージに上げてやれるような気がしていたのだ。
 「どんだけ踏み潰されても立ってやらあ」私のある種の打たれ強さは彼らを通して、培われたものだと思う。そして何より、彼らは私に生きる喜びをくれた。生きてるんだか死んでんだかわからない時間が過ぎるのを待つだけの日々から、何かを心待ちにして過ごす楽しさを覚えていった。 ビートルズだって解散と言ったわけではないし、復活の可能性は五分五分*2だろうなと思ってた。でも心のどこかでは信じていた。こんな終わりを受け入れるような人たちじゃないと感じていたから。昨夜のHEY3を観て、泣いたのは。信じたものが戻ってきたことで、きっと自分の青春が肯定されたような、そんな気がしたからだと思う。世の中にこんなに光輝くものがあることを教えてくれた彼ら。あなた達がいるのなら。私はこれからも胸張ってはみ出しものでいよう。ひとりでいるのは苦ではない。むしろ、好きだ。でも、それだって、周囲が「ひとりでいること」を強いて、長い時間かけて馴れてきただけなのだ。 前述の彼はひとりでいることが嫌いらしい。ひとりでいることが嫌いなひとは、他のひとにひとりでいることを強いる。自分が誰かと居続けるために。
 昨夜、封印されていたホーンの音*3は高らかに放たれた。その音が導くのは、天国か地獄かわからない。確かなのは、その音が確実にひとりでいることを選んだものを救うということ。

あんた本当 いい男だったよ *4

シングルベスト10?おまけ付?

シングルベスト10?おまけ付?

*1:画像を見れば、一目瞭然ですがシャ乱Qです

*2:2000年12月1日に活動休止を発表

*3:ズルい女前奏

*4:もちろん、正しくはあんた本当 いい女だったよ