シャ乱Q

 シャ乱Qにまつわる年表を、自己紹介代わりに公開しようと思います。
 自己紹介遅すぎですよね 笑


1984年:[karin]誕生 ちなみに、シャ乱Q結成4年前(何の因果か、つんくさんの初恋の方の命日と誕生日が一緒です…)
1988年:[シャ乱Q]結成
1992年:[シャ乱Q]18ヶ月でメジャーデビュー
1993年:[karin]小3 見ず知らずのやたらに派手な5人の男が登場する夢を一週間連続で観る。その中のひとりが金髪だったことが印象に残る。→予知夢
1994年:[karin]小4 偶然観ていた「浅草橋ヤング洋品店」で初めてシャ乱Qを認知する。彼らが何となく夢の中に出てきた人物に似ているなと思いつつも、琴線には触れず。
1994年:[シャ乱Q]10月 シングルベッドリリース
1995年:[karin]小5 HEY3で、ズルい女を聞いて一躍気になる存在に。同時に、浅ヤン時からのあまりの変わり様に驚く。あのくるんとひっくり返る裏声と、女々しい歌詞股間パフォーマンスに胸を鷲づかみにされた。
1995年:[シャ乱Q]10月 My Babe君が眠るまで リリース
♪もったいないから食べちゃった〜という替え歌が当時、流行る。退屈な音楽の授業で(退屈だな〜早くシャ乱Qの新曲出ないかな)と無意識に考えるようになり、ファンであることを自覚する。
1996年:[シャ乱Q]4月 いいわけ リリース完璧にシャ乱Qなしじゃ駄目な身体になる。
1996年:[karin]小6 父親がラジオ番組の仕事をすることになり、発売前のサンプル盤を強請る行為をNICE BOY!〜中3まで続ける(ごめんなさい)
また、番組内の親父からの伝言というコーナーで、小学校卒業の際「算数ができなくてもいい。シャ乱Qのことしか頭に無くてもいい。」という恥ずかしいメッセージが電波に流される。
1996年:[シャ乱Q]12月 GOLDEN Q リリース
ホワイトつんくさんが書く詞の奥深さに気づく。少し、彼への見方が変わる。
1997年:[karin]新年の課題で詠んだ「シャ乱Q たいせー回って 白の勝ち」(紅白のことね)が、学級通信に載る。見事にシャ乱Qのことしか頭にないのがわかる。
1997年:[シャ乱Q]そんなもんだろうのc/w心、パワーソングで、ますますつんくさんの歌詞に興味を抱くように。
CM放映や出演映画公開など、とにかく楽しい一年だった。この頃、父の知り合いのデビュー時からのファンの方に、サインや会報などレアグッズを多数譲り受け、シャ乱Qについての造詣を深める。シャ乱QロックボーカリストオーディションがASAYANで始まる。おかげで、モー娘。5期オーデまでのハロプロの流れはばっちり把握しています。
1998年:[シャ乱Q]2月 都会のメロディー リリース お昼の放送で流して、大ブーイングをクラスメートより受ける。同世代の支持は得られず…モノクロのアートワーク、シンプルな衣装、つんくさんの眉毛が太くなったことで、ますます惚れる。
1998年:[シャ乱Q]3月 孤独 リリース
1998年:[karin]中2 4月15日 WELCOME TO MY TOWN@府中の森芸術劇場で、念願のライブ初参戦!!前から49番目でそれほど良席だったわけじゃないけど、実物のつんくさんは想像以上にカッコ良くて、また歌もかなりうまくて感動した。何よりオーラがすごかった。あと、あの目!!生じゃなきゃあの目線はわからない。今思えば、5人のシャ乱Qが観れてよかった。

1998年:[シャ乱Q]5月 ためいき リリース
個人的にパワーソング〜ためいきまでのリリースは神がかりと言ってもいいと思う。尊敬していた国語の先生の影響で、文学少女だった私はシャ乱Qの歌に文学的解釈を加えることに興味を持ち始める。崇拝する余り、ノートや机に歌詞を書きまくっていた…
1998年:[シャ乱Q]10月 愛 Just on my Loveリリース 
Ba.しゅうちゃんが、謹慎&脱退へ…
1999年:[karin]中3 受験勉強のため、シャ乱Q禁止令が親より出される。
が、つんくさんのドラマ出演、ソロデビューありいので守れるわけもなく…こっそりビデオを観る日々が続く。塾をさぼっては、本屋で音楽雑誌立ち読みしてたなあ。この頃の親の口癖は「シャ乱Qはお前に何もしてくれないんだからな!!」ごもっとも。
2000年:[karin]高1 それでも何とか志望校合格。約束通り、ファンクラブに入会する。「とにかく、シャ乱Qをめいっぱい応援するぞー」これが、高校入学に際しての決意(え)
2000年:[シャ乱Q]ライブツアー THIS IS シャ乱Q
父親に強請ったチケットで奇跡が起きる。NHKホール公演で中央最前列席という幸運に!!この時ほど、神に感謝したことはない…もちろん目合いまくりだし、ピックもGet!!
2000年:[シャ乱Q]12月1日 活動休止発表その日は学校行っても、わんわん泣いてました。とりあえず、休憩中はつんくさんの動きを追いかけることにする。
2000年:[シャ乱Q]12月14日 つんくプレゼンツビートルズコピークリスマス@ZEPP東京 
この頃になると、ライブ=行くのが当たり前みたいになってた。
2001年:[karin]高2 ファンクラブ限定イベントと5月26日の恵比寿GUILTY公演でセブンHOUSEにものめりこみだす。特にセブンは母親がケンジ君をかなり気に入っていた。
2001年:[karin]7月 ひょんな幸運の巡り合わせで、つんくさんの私物ピアスを頂けることに。体育のときはアクセ禁止だったんだけど、「これはつんくさんのなんですー」とわけのわからない主張を押し通し、決して外さず。CHANELだから余計に嬉しかった。
2001年:[karin]夏休み 成績の酷さに黙っていた父が激怒。成績が上がるまで、ライブ・イベント禁止に。とはいえ、つんくタウンの試写会に参加してました 笑 ちなみにつんくタウンは、「東京ざんす」の試写会にも参加。つんくタウンはタダでつんくさんと会えるイベントがあって、美味しかったな〜
2001年:[karin]10月27日 TBSラジオ つんく♂ばん内、暴れはっちゃくリターンズに電話出演。「一度でいいから下の名前を呼ばれたい」ファンなら思う共通の願い。つんくさんと話せた夢のような時間でした。何よりも、「勉強頑張ってな」って言われて、単純な私はそれだけでうっしゃー!!と意欲に火がついたのでした。
2001年:[シャ乱Q]12月21日 セルフカバークリスマス〜ライブばん@赤坂BLITZ
受験前、最後のライブにしようと決めて臨む。
自ら、受験終了まで「つんくさん断ち」する。
できたのは、「行く大学がない」って言われたから 笑
あの頃の私は、それなりの大学には入って、いつかはつんくさんと一緒に仕事できるようなひとになるのが目標でした。
2002年:[シャ乱Q]9月1日 セブンHOUSE解散
2003年〜:[karin]何とか大学に入学。だけど、シャ乱Qのことしか知らずにやってきて、そうじゃない時期も必要かなと思って、意識的にQ離れする。ファンクラブの商売の仕方やまあ諸々に納得いかないこともあったし。だけど、最新情報やファンの意見はチェックしてた。
2005年:[シャ乱Q]12月24日 06年の活動再開を発表
2006年:[シャ乱Q]4月2日 イルカショーで記者会見
2006年:[シャ乱Q]4月3日 HEY3生出演
自分でも、こんなに嬉しい気持ちになるなんて驚きだった。
やっぱり、私はシャ乱Qが好きだったんだな〜と実感しました。
学生生活も残り1年だし、めいっぱい応援しようとその時決意したのです。
それがこのブログを立ち上げたキッカケです。
常連さんも、一見さんも、どうぞ、これからもよろしくお願いします☆
「踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損々」ですよね?笑