karin872006-10-22

2000年 PATI×PATI 12月号にみる「活動休止」のサイン

 現在進行形の出版物だけではなく、過去のものでも現在とリンクするような興味深いものは取り上げていこうと思います。
 で、パシフィコ横浜公演の1週間前に紹介するのは、2000年のビートルズコピーアルバムリリース時のPATI×PATIのインタビューです。ちょっと前に読み返して、やっぱりこれについて触れない限り、本当の意味で先に進めないし、自分の中の「シャ乱Q再始動」は完了しないなと思ったのです(だからって、それに読者の皆さんを付き合わせるのも…って感じですが)
 音楽雑誌というのは、所詮はファンを満足させる「自慰的記事」の集りですが。それでも時々は後々まで強く印象に残る記事に出会うこともあります。ちなみに印象に残っているのは、今回のPATI×PATIと「ためいき」リリース時のB-PASSインタビュー、後は(音楽雑誌じゃないけど)AERAの現代の肖像に取り上げられた記事。(B-PASSのはまた今度紹介することになるかと思います)

 PATI×PATIは「RUN FOR HIS LIFE」と銘うたれた、子ども時代から現在(2000年)までの20000字を越えるロングインタビューです。これを読めば、初めてのひとでもつんくさんがどのような人物かわかるようになっている作りですが。触れたいのはそこじゃあないんです。
 それはインタビューの終盤での出来事。

―時間がないんで話が飛んじゃいますけど、今シャ乱Qに対する想いというのは、どうなんですか?(ちなみにこれは確か2000年9月頃のインタビューだったはず)
 「まぁシャ乱Qというのは実績がすごくあるので……僕が何度か経験したことといっしょなんですけど、しゃにむになってしまうとかっこ悪いときっていうのがあるんですよ。(中略)シャ乱Qは今そのはざまあたりにいて、変に考えることが逆にもったいないというか、難しいと思うんですよね。と言いながらも活動して、ライブやってるじゃないですか。だから、そういうなかでヒントがあれば、たぶんみんなも簡単にものごとを考え始めると思うんですけど。なんて言うのかなぁ……僕はそこでシャ乱Qが安くなるのがいちばん嫌な感じがするんですよね。まぁ人は簡単に、出せや、って言うんですけどね。あんだけ曲作れるんだったら出せるだろうっていう。だから出したらあかんねん、って。なんでも出したらいいじゃないだろう、シャ乱Qは、ってすごく思うんですよ。(中略)今は実績があるから、みんな待ってくれるんで、それはそれでいいかなと。そういう気がしてるんですけどね。」

 休止して、再始動した今読めば、「休むことを考えてる」っていうのがありありと伝わってくるんですがね 笑(だから、この答えを引き出せたインタビューアは見事としか言いようがない)結局、つんくさんが一番言いたかったことってのは「シャ乱Qが安くなるのがいちばん嫌な感じがする」っていうひとことに集約されている気がします。邪推をすればそれは今も変わらないことなんじゃないかなあって。じゃぁ、再始動後の6年ぶりの新曲が娘。と同じ「歩いてる」でいいのかっていう議論にはなるのですが。そこには当然、大人としての納得があったんじゃないかなあと 笑 私はこの楽曲で「シャ乱Qの意地」を見せられたらいいんじゃないかなと思います。売れるとかそういう次元ではなく。「娘。のもいいけど、やっぱりつんくが歌うと違うね。バンドのオケは違うね」って。そういう意見を世間から引き出せたら、とりあえず最初の0,5歩は勝ちなんじゃないかなあって。つんくさんにとって、シャ乱Qというのはプロデュース業ともつんく♂ソロとはまた違う、特別な場所にある気が私はします。今思えば、「活動休止」というカードもシャ乱Qをなくさないための冷静な判断の末のギリギリの手段だったのかもって。
 このインタビューの最後には「ひとつのことだけをしていられない自分」についてこう語っています。こちらもなかなか興味深いです。

―でも、俺はこれだけ、って決めてる人に対する憧れだったりコンプレックスだったりはあるんですね。
 「ある。それはある。コンプレックスはないけど、憧れはありますよ。うらやましい。なんでそこで落ち着いて座れるんだろうっていう。逆に言うと、淋しくないかな、と思いますけどね。それはそれで。」
 「基本はディスコと思ってくれればいいんです。なんでもある。あの空間。淫靡な世界で、音楽があって、男と女の神秘があって、笑いもあってね」

 つんくさんは自分のことをよくファミレスに例えますが、個人的にはディスコのほうがよほどしっくり来ました。