歩いてるー普遍的なことこそが尊いという境地

歩いてる

歩いてる

 この前の文化の日に、NHKの番組でリレーフォーライフという試みを目にした。癌患者が、仲間や家族と共に競技場をひたすら「歩いて」個々のペースで周回する。闘病中のひとはもちろん、ボランティアの中には家族を癌で亡くしたひとの姿も。痛め止めを飲んで、苦痛に顔を歪めながらそれでも精一杯「歩く」その姿を見ていて、自然と頭の中に浮かんだのが先日のライブで聞いた、シャ乱Qの新曲「歩いてる」だった。イベントの最後、それぞれが思いのたけを書きこんだ、白いろうそくに一斉に火が灯された。並んだ、そのろうそくが「HOPE」の文字を意味することがわかった時、涙が溢れ、これこそが「平和」の姿だと思った。
 せっかくの待ちに待った再始動なのに、「歩いてる」なんて……おいおい、走るくらいの意気込みでやってくれないと困るよ。当初はこの曲に対して、そんな風に感じたのも事実だ。だが、前述の番組を観て私の考えは大きく変わった。深呼吸をしてお腹いっぱい食べて、自分の足で立ち、おめかしをして毎日どこかへ出かけ誰かと笑い合うことー当たり前だと思っていた、それら一切はリレーフォーライフに参加する彼らにとって、ちっとも当たり前ではなかったのだ。当然のように感じてきて、蔑ろにしてきたその「歩いてる」という行為。それをこんなにも彼らは渇望していた。切に願って。競技場を一周する彼らの姿はまさしく命というバトンを次の世代の誰かに託そうとしているようにも思えた。
 また、この楽曲ではボーカルであるつんく♂の心境の変化も見ることができる。アルバムタイトルに「孤独」という言葉を用いたこともあり、あんなにも「孤独だ 僕はいつになってもひとりなんだ」と歌っていた男がー「一人じゃないから」と歌う。その変化はとても興味深いものに映る。だからといって、彼の孤独は癒えたわけではないだろう。孤独というものはごく当たり前の感情であり、だからこそ(一時のぬくもりであっても)それはそれとして受け入れて、ひとはひとを求めるし、寄り添って生きていけばいいのではないか。そんな彼の心境が窺えると言ったら勘繰りすぎだろうか。
 また、この楽曲に色をつけているのは、「約6年間の活動休止を経て、再び一緒に活動していくことを選んだ」というストーリーだろう。
 後ろから、つんく♂を見守るはたけ、たいせい、まこと…メンバーの視線があるからこそ、「一人じゃないから」という彼の声が、私たちの胸に実感を伴って迫ってくる。
 一見、普遍的に思えることこそ尊いと表現したこの楽曲は、4人で呼吸をひとつにして足下を確認してもう一度やっていこうとしている彼らにこれ以上相応しいものはないように思われる。奇は衒わず、背伸びはせずにー等身大の、大人になった4人を味わうことができる1曲となった。